伝説のヴァイオリニストと言われるイダ・ヘンデルは、幼い頃から天才少女と呼ばれ、その後ろには常に、イダが大好きな父親が付き添っていたそうです。
イダが5歳の時、その大好きな父親が“音楽の天使”と呼んでいたシモン・ゴールドベルクのところにイダを連れて行き、弟子にしてくれるように頼んだそうです。しかしその時期のゴールドベルクは、演奏活動で多忙であったことと、日に日に迫るナチス政権の圧迫からドイツを脱出したいと願っていた時期でもあり、とても幼い少女の身の安全まで看きれないからと、カール・フレッシュの門下に入ることを薦めて、自身は受諾しなかったそうです。
後に私が直接イダ・ヘンデルから聴いた話では、イダはその時、ゴールドベルクを初めて見て、「ただただ何て美しい人だろうと思った。私はいつでもヴァイオリンを弾こうとする時、何かヴェールのような風のようなものが天から降りてきて自分の周りを包み、ひとりでに音楽が鳴り出すのだが、それはあの初めてシモンを見た時から始まっている。この息吹きのようなものは、シモンから来ているものだと自分はいまだに信じている。自分も大人になってからは、シモンに対するそうした漠然とした夢、憧れのようなものが、確たる尊敬の念へと変化はして行ったけれど…。」ということでした。
2006年、彼女は、姉山根美代子が富山で立ち上げたゴールドベルク記念「こしのくに音楽祭」で、シモンに捧げる特別音楽会をして下さり、この音楽祭の最終コンサートとして締めくくりをして下さいました。美代子がシモンの音楽と精神を次世代に伝えるためにこの音楽祭を起ち上げたことに対する彼女の心からの応援の表現でした。その音楽祭の開催中に倒れ、入院していた美代子を彼女は病院に見舞い、シモンとあなたのためなら何時でも演奏しに来るから、あなたも早く治ってと美代子を励ましました。今回、彼女が弾いたバッハのシャコンヌが素晴らしかったとの言に対して彼女曰く「それは曲が素晴らしいのよ。この曲は、本当に凄い曲で、いかなるヴァイオリニストも、未だかつてこの曲を完成の域で弾けた人は居ない。だからヴァイオリニストは皆、少しでも完成の域に近づこうと、この曲を一生涯弾き続けるのよ。」と言っていました。
2008年、もうシモンも美代子も居ない日本を再び訪れた彼女は、「20世紀の巨人 シモン・ゴールドベルク」の本の上梓を知り、本の帯に次のような言葉を贈って下さいました。
「シモン・ゴールドベルクは、来たる世にまさしく宝となるものを、音楽界に遺していった。彼の芸術全般への偉大なる寄与を、私は敬してやまない。そして、ゴールドベルク山根美代子は、永遠なるその遺産を護り、伝え続けた人であった。二人を共に知り得たことは、私にとって特別な名誉である」
2009年、この年の富山の音楽祭、「とやま室内楽フェスティバル〜In Memory of Szymon Goldberg~」に彼女は、ゴールドベルクの生誕100年記念にと再び出演。このときは、コンサートに引き続き、彼の生涯を物語る、北日本放送制作のドキュメンタリー、「一粒の麦 ここに芽ぐむ」の上映が為され、そのあとに、イダと、美代子の実妹大木裕子との対談も行われました。
(大木 裕子)